ブラック部活に気をつけて! #入学 #新入 #部活選び #教育論

新入生のみなさん!
ご入学おめでとうございます!

今年はコロナウィルスのおかげでいつもと違うスタートですね。
リモート授業を余儀なくされたり、まだ学校へ行けない人も少なくないかと思います。

入学して1ヶ月、今年はもう少し時間がかかるかもしれませんが、
少しずつ部活を選んで入部する時期です。

最近はどうなのかわからないし、地域にもよるのかと思いますが、
田舎で育った私達は、部活に入っていない人は変人っというような空気と圧があり、
特に中学生時代はほとんど100%に近い学生が部活に入っていました。
私は3年間、バレーボール部に所属し卒業。
高校でもバレー部に入部したのですが、
それがいわゆるブラック部活だったのです

スパルタ教育のイラスト

今回は私の体験をシェアすることによって、
部活選びの参考にしていただければ、また同じような体験のある方へのメッセージになればと思っています。

過去に同じような体験をされた方やトラウマがある方には、
もしかするとフラッシュバックにきっかけになってしまったりするかもしれません。
そのような方へは閲覧注意でお願いします。

長くなってしまうので、ささっと読みたい方はコンテンツからスキップして読んでみてください😉

 

CONTENTS

 

 

どんなところがブラックだったのか 

 

練習時間

はじめは月火水金の放課後と週末は午前または午後の半日練習でしたが、
日に日にエスカレートし、最終的にはこんなスケジュールで過ごしていました…👇

 6:30 起床 朝食 シャワー

     (朝1本目のバスに乗ると、朝練に間に合わないので両親に車で送ってもらっていて、10分くらいの通学時間も貴重で、車内で朝ごはんを食べたり、宿題をやったりしていました ※田舎なのでバスが8:00から20:00くらいまでの時間、1時間おきに1本ほどしかなかった)

7:45~ 朝練

    午前の休み時間の合間に少しずつお弁当を食す

昼休み 昼練

    帰りのホームルームが終わり次第走って体育館へ。
    急いでウォーミングアップ開始。

20:30くらいまで練習。車で迎えにきてもらって21:00ごろ帰宅。

23:00 までに食事、着替え、翌日の小テストの勉強、宿題など

   ※23:00までに寝ないと翌日のパフォーマンスが低下するという理由で、顧問の先生に怒られ、「俺はなんでも知ってるんだぞ!」っと言われていたので、寝るのが23:00を過ぎたらバレるのではないかと本気で恐怖でした。(洗脳恐るべし!)

    木曜日は筋トレのみ、週末は練習試合、ほぼ毎週泊まりがけの遠征

    お正月休みやテスト期間中は自主練習!っという圧力があり、町の体育館へ行って、生徒だけで練習をしていました。

今から考えるとPMSの影響もあったと思いますが、授業中は病的なほどに眠くて眠くて、目の周りにメンソレータムのリッピクリームをグリグリと塗って、なんとか起きようとしていました笑

が、どうしても眠ってしまってこのことを教科の先生が顧問の先生に話したらしく、怒鳴られてボールで殴られました。。。

また遠征へいく車中は、先生が運転してくれているため、選手が寝ることは許されていませんでした。しかし、早朝出発のため、どうしても瞼が落ちてしまい、隣に座ったものどうしで肩を叩き合っていました。それでもどうしても眠ってしまうことがあり、その場合は体育館についた後にこっぴどく絞られました。

 

暴力 〜ビンタが全ての解決〜

絡む人のイラスト

身体的に、精神的に、虐待を受けていたと行って良いと思います。
一番多かったのは近距離(人と人が会話するくらいの距離)で顔にボールを撃ち込まれたり、ボールで顔を連続で殴られたりしました。殴られている際は裂けたり逃げたりしてはならず、自ら顔で殴られる方へ「はい!」っといいながら向かっていかなければなりませんでした。(逃げるともっと長く殴られる)

先生の中では直接触れなければ暴力ではないという線引きがあったようで、ボールやペットボトル、ノートなどで力一杯殴られました。(180cm+の巨人先生なのでそれでもかなりの衝撃。)結局最終的にはエスカレートし、ビンタされている生徒もいましたが、直接触る暴力は「先生の愛、光栄なこと」っという認識になっていて、狂った私達は練習の前や試合の前に、お互いにビンタし合ったりしていました。

「言っても出来ないお前らは、犬猫と同然だからこうするしかねー。体で覚えさせるしかねんだよ!」(今時、犬猫にも暴力はしないですよね。)
「警察に捕まるかもしれない危険を犯してまでお前らのためにやってんだ!」

このような哲学を心から信じていました

「お前はチームのみんなに迷惑をかけている」
「お前なんていらない」
「死ね」

という言葉を、毎日何度も繰り返し浴びせられていました。

真冬、雪の中に練習着のまま外に締め出されて鍵をかけられたり、
声が出てないという理由でみんなの前でステージに上げられて一人で校歌を歌わされた(歌うより怒鳴らなければ認められない)ことはとても屈辱的でした。

 

休憩と水分

水分補給のイラスト(女性)

指定されたタイミング以外の水分補給は禁止されていました。
休憩中でもあまりごくごく水を飲むと、
「お前らそんな水飲むからそんなに汗かくんだよ!!」
っと怒られるので、先生の前では水分補給をするのも怖くて少ししか出来ませんでした。

ある夏、体育館の壁にタッチし、反対側まで走っていって、パスを続けるという練習で、100回続くまで続けろ!っと言われ、
私はどんどん衰弱し、パスがどんどん続かなくなっていきました。
結局私が原因で100回続けることは出来ず、次の練習に移ったのですが、
その後少しすると、少しずつ手足が痺れて動かなくなりました。
手足の感覚が鈍り、力を入れていないのに手がグーの形のまま動きませんでした。
体が動かなくて起き上がれなくなり、意識が朦朧としてきて、チームメートに体育館の外、風のあたるところまで担ぎ出してもらいました。

後日私は練習を中断してしまったことを先生に謝りに行き、栄養のある朝食を採っていなかった自己管理がなっていないという理由で怒られました。

しかしその後その出来事は
「お前ら限界まで力出してないんだよ、人間簡単に倒れたりしないんだ。限界までやったら〇〇(私の名前)みたいに倒れるんだから、倒れるまでやれ!」
っと英雄視されることもありました。

風邪なども同様に自己管理がなっていないと怒られるので、風邪を引いてしまったらなんとか咳やくしゃみをしないように抑えながら練習へ参加していました。

 

携帯(メール)、恋愛禁止

携帯電話で話す人のイラスト(男子学生)

女性ホルモンが出ると、無意識のうちに自分の体を守るようになるため、全力で飛び込んだり滑り込んだり出来ないという理由で恋愛は禁止されていました。

髪を洗ったり乾かしたりする時間があれば1分でも時間を練習にまわしたほうがいいということで、男子のように短く切らなくてはいけませんでした。

ある日、チームメイトが先輩と付き合っていたことが発覚し、電話して別れろと言われ、その日練習が終わって宿泊所で電話して彼氏と別れることになり、彼女の気持ちを思うととても可哀想でした。

メールをすると直接人と話していないからコミュニケーション能力が低下すると言われ、メールを使うことも禁止されていました。

 

お祭り禁止

だんじり祭りのイラスト

 暗黙の了解で「こっち側の人」と「あっち側の人」というのが分けられていました。
「こっち側の人」はこのような暴力は強くなるために必要なもの、わかっている人。
高校生活を楽しく過ごしている人たちのことは「あっち側の人」で愚かという認識でした。
「あっち側の人」と話すと、悪い影響を受けるっということで、怒られるので、
中学校から仲が良かったバレー部以外の友達とはあまり話すことが出来ませんでした。
街のお祭りに行くことも「浮かれ」がうつるので禁止されており、
一度お祭りに行っていた事が先生にバレてしまった先輩はかなり絞られていました。

 

オープンキャンパスに行かせてもらえない

他の部活の3年生が引退する頃、私たちは秋まで現役として、練習、試合に参加していました。

先生は色々な理由を言っていて、心から自分たちのためであると信じていました。
しかし今になって考えてみると、他の学校から3年生が引退し、うちのチームだけ残れば、強豪校に勝つことが出来るからだったのだと思います。
何よりも練習が重視されていたので、進路選択の時期になってもオープンキャンパスに行くことさえなかなか出来ませんでした。

足を疲労骨折した際も、練習は休めないので、授業を休んで病院へ行きました。
病院へ行く前、足が痛くて動きがおかしくなると、「足を引きずるな!」っと怒られました。

高校2年生の夏、私の曽祖母が亡くなったのですが、私は練習を優先し、お葬式へ行きませんでした。そのこともまた英雄視(評価)されました。プレーで評価を得られない私はそのよな方法で認めてもらおうと努力していました。

 

先生の絶対的権力

ここまでの記事を読むと

「なぜ他の先生方は何もしなかったのだろう?」
っと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
学校の中でその先生は絶対的な権力を持っていました。

すでにその学校では何年か勤務していたので、
その先生は他の先生たちより先輩で、
他の先生は何も言えない状態でした。

校長や教頭先生に至っては、
頻繁にその先生が一緒に飲みに行き、接待していました。

片田舎の学校で、何においても結果が出ない状態の中、
結果を出してくれるということで、
上記のようなことが黙認されていたのです。

 

洗脳の力

洗脳のイラスト

合宿の際には、練習後、みんなで温泉へ行って汗を流しました。
お風呂から上がると、「雪駄掛」というものがあり、
「足元失礼します」と言って、先生の外靴を差し出しスリッパを片付けます。

雪駄係をするのはとても光栄なこととされていました。

入部し、しばらくは、毎晩辛くて泣いていたし、
傷ができたり、骨折したり、頭から血が出て病院へ運ばれたりする私を見て、
私の両親も辛かったと思います。

はじめの頃には、退部を考えたことももちろんありました。
退部すると、先生やチームメイトに会わせる顔がないと思い
「退部=退学」レベルで考え、悩みました。
両親も、本気で転校することも考えてくれ、意を決して自ら先生に電話をしました。
すると先生は突然優しくなって、「一緒に頑張って行こう」と言って私はいいように言いくるめられてしまいました。
暴力を受け始めた頃は、当然
「許されないことをされている」という自覚がありました。
しかし、そう考えると辛すぎて耐えられないことから、「これは普通のことなんだ」「理不尽な仕打ちではない」と思い込むようにし、
身も心も自ら打ち込んでいくようになりました。
そんなことを毎日繰り返しているうちに、
完全に洗脳されていました。

最終的に「先生は自分の身を犯してまで(法律を犯してまで)私たちのために努力している」と心から信じており、学校や教育委員会へ報告することは、先生の想いを裏切ることになると本気で思っていました。
申し私の両親がリークしたら、リームの中で私が村八分になると思っていたので、「お願いだから絶対に言わないで」と言っていました。

 

どうやって洗脳が解けたのか
外国人の子供達のイラスト「世界の少年少女」

大学に進学してしばらくの間、私は洗脳されていました。
大学で今の主人に出会い、この体験を話しました。
その時点で私はまだ、「辛かったけど、後悔はない。」「良い経験をした」「この経験を通して私は強くなった」「先生には心から感謝している」っというマインドでした。

しかし、主人はノルウェー人なので、主人と時間を過ごし、日本から出て、日本だけじゃない世界の文化に触れるようになっていくにつれ、先進国でこんなやりかたが黙認されている国は少なく、遅れている。間違っていることだったんだと思うようになりました。

 

この経験を通して、今自分が思うこと

悪夢のイラスト

この経験は約10年前のことですが、いまだに何か失敗したり不安なことがあると、
部活での失敗や先生にけなされた台詞などが頭の中にリピートして
恐怖、怒り、悲しみの感情を感じたり
夢を見て、うなされて起きることがあります。

当時は、「これごとき、乗り越えられないと社会には通用しない」っと思っていましたが、実際に大人になって見て、それは間違っていたと思います。

 

逃げるスキルは生き抜く力

津波から逃げる人々のイラスト

「逃げる」というのはネガティブな印象がありますが、
危険を察知して、そこから逃げるという機能は生き物が生きていく上で無くてはならないスキルです。
ライオンに狙われているのに逃げなければ、食べられてしまいます。
人類が環境の変化から逃げず、アフリカ大陸で頑張っていたら今頃絶滅していたことでしょう。
努力はもちろん必要ですが、
「努力」=「嫌なことを耐え続けること」ではないのだと気がつきました。

大学時代にホテルのフロントでアルバイトをしていたことがあったのですが、
過酷な労働環境により、同期がどんどんやめていきました。
私は「ここでやめたら負けだ」と無駄な根性論がよぎり、
踏ん張り続けていましたがその結果ストレスによりハゲが出来たりなど体にも心にも良いことはありませんでした。
今から考えると、状況を見極め、他のバイトを探した同期たちの方が利口であったと心から思います。
生きていく上で回避能力、解決力は欠かせません。

 

暴力での指導はロボットの生成でしかない

不気味の谷現象のイラスト

先生はいつも、
「お前ら自分の脳みそないのかあああああ!」
っとお怒りでしたが、

力ずくで先生の価値観を植え付けられたいた私たちには
感情をけし、先生に言われる通りの行動しかできませんでした。

もし仮に自分の頭で考え、行動できたとしても、
大変な目に合うのは目に見えているので
先生の信者・僕になるしかなかったように思います。

先生にどう思われるか、何と言われるか、を最優先に行動しなければいけない環境なので、
卒業後に自分で考えて行動できる人間を作る指導とは思えません。

 

空が晴れていても傘を持ちなさい

傘をさした男性のイラスト

先生は自分の考えの比喩として
「空が晴れてても傘を持ちなさい」
とよく言っていました。

これは、どんなに空が晴れていて、雨なんか降らないように思えても、最悪の事態を想定して行動しなさいということです。
(実際に傘を持っていなくて、雨に濡れているところ(小雨だったとしても)を目撃された日には「お前は俺の話を全く聞いてない!」と攻撃されるので、傘を忘れた日は血の気が引く思いでした。)

一見この考えは正しいようにも思えます。
私ももちろん生活する上で、
バスが遅れるかもしれないから早く乗る、
運転をする際には、人が飛び出てくる可能性があるから、出てくる前提で確認をしてから発進する、
など最悪の場合を想定して行動しています。

ゲリラ豪雨のイラスト(自然災害)

しかし、人生の中の最悪の事態の可能性って無限大ですよね…
突然目の前を歩いていた人にピストルで打たれるかもしれないし、
地震津波、火事になるかもしれないし
考えるとキリがないし、無限大の可能性に対して全て準備しようたって無理な話です。
快適に生活を送りたいから、準備するのに、
全てに備えようというストレスの方が大きいと、何のために備えているのか、
本末転倒になってしまいます。

毎日防弾チョッキを着て、非常持ち出し袋のようなリュックを背負って歩いていたら、馬鹿みたいですよね。

備えることの可能性の大きさと、備えるために使う労力のバランスを考え、選択するのは個人個人私たちの自由です。

さらに言えば、「その物事が悪いことなのか」の判断の仕方は人それぞれだと思います。
住んでいる場所や国によっても価値観は様々です。
雨が降っていても傘を刺したくない人だってこの世界にたぁぁっくさんいます。

私は最近仕事からの帰宅中、カラカラの晴天だったのに、急に空が雲で覆われて、
バケツをひっくり返したような大雨に合いました。

その時「キャー!!😆」っと言った雰囲気で笑顔で
他の通行人と顔を見合わせ、私は全身雨に濡れて帰宅したのですが、
何だかむしろ楽しい思いをしました。

何度も何度も当時の夢を見て、汗だくで起きる私でしたが、

「雨に濡れちゃダメ」って誰が決めたんだ?っと気がついた時
とても自由を感じ、私は私でいいんだ。っと心から感じ、
何だかとてもすっきりした気持ちになりました。

すっきりした顔の女性のイラスト

田舎で生まれ育った私たちに対し、
「田舎の常識がみんなの常識だと思うな」
「お前ら田舎くさいんだよ」
っと言われていましたが、
日本から離れた今、私は、雨が降ったら傘をさすという自分の常識がみんなの常識だと思い込んで、先生の価値を生徒たちに暴力を使って押し付ける方が、視野の狭い、遅れた田舎臭い行動だと思います。

もちろんこの経験から学んだこともたくさんありますが、
別の道を歩んでいれば、当然別のことを学んでいたと思います。
時に、私は部活を優先するがあまり、留学を断念してしまったので、
今でもあの時留学するべきだったなと思っています。

プロを目指すわけではないなら特に、
健全に、プレーを楽しみ、健康に体を動かせる程度を超える部活には(部活に本気になるのは悪いことじゃないけれど)入部しない方が良いかもしれません。